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一肇さんの「少女キネマ」を読んでみた 感想

今回紹介するのは一肇さんの「少女キネマ」です。映画作製にささげた暴走青春ストーリー。

 少女キネマ

十倉和成(トクラカズナリ)は、上京して私立大学に通っている貧乏大学生。下宿先の「友楼館」名前は立派だが、壁が薄く、隣の生活音がダダ漏れの年代物の古館になっている。そこの僅か六畳しかない一室で最近ものがたびたび消える事件が発生していた。故郷から持ちこんだ数少ない所有物のなかで紛失したのはマフラーの「温子」ハサミの「武蔵」と名づけていたものである。地獄の浪人生活を耐えて、乗り切り、春を迎えることができた仲間である。そして、今度は母から送られてきた仕送りの「どん兵衛」が無くなっていた。さすがに三度目になると怒りを抑えられなくなり、部屋全体に轟くように今なら水に流すから戻してくれと声を張り上げて訴えた。目をつぶって動向を見守っていると天袋から音がした。恐る恐る目をあけて確認すると、目の前に申し訳なさそうに恥じらう少女がいた。

おかっぱ頭で清楚な制服を身にまとった少女は黒坂さちと名乗り、五年も天井裏で生活していると話す。これまでのことを詫びて畳みスレスレまで頭を下げる礼儀ただしい少女を前に思わず住むところが決まるまでと期限を設けてこれまでと同様に天井裏に住むことを許可したのだった。

 

さて十倉がなぜ二浪してまで東京に出てきたのか?それはやらなければいけないことがあるからだ。どうしても明かさなければいけない謎があった。一年半前に東京に飛び出していって自主製作映画を未完成のまま残し死んでしまった友人・才条三紀彦のことだ。高校で出会い映画に魅了されて自ら撮影までもするようになった身軽さ。それゆえに暴走することも頻繁にあり、学校を無断欠席するほど映画に全てを捧げていた。そんなむちゃくちゃな男だったが、彼が撮る映画には不思議な力が宿っていたのは間違いなかった。才条を追いかけて二年もの歳月を費やし東京にやってきた十倉。もういなくなってしまった彼の幻影を見て見ぬふりをしてだらだら過ごすだけの毎日。時間が止まり、立ち止まったまま進もうとしない。

 

友楼館はキネマ研究会という映画研究部の下宿先として代々引き継がれていた。そんな友楼館を中心に十倉の周辺には変わり者が集まることが容易に想像がつく。同宿の亜門次介は、いつも着流しスタイルで大学生活を優雅している。久世一磨は、潤沢な仕送りを合コンに費やしてわざわざ友楼館に住んでいる。生ける都市伝説の伊祖島は三十歳になるのにまだ学生を貫いている。彼は友楼館の不文律である女人禁制の影響を受けた人物であり、映画を撮れなくなってしまった。才条を嫌うキネマ研究会部長の宝塚八宏。そして忘れてはならない黒坂さち。個性的なメンバーに押されて引っ張られて才条が残した未完成の自主製作映画を引き継ぐことになった十倉。ぶつかったり、言い合ったり、悩んだり、暴走したりと完成まではデコボコ道のように険しい道となった。それでもみんなの協力が合ってこそ完成した「少女キネマ」

見えてきた映画バカで天才だと思っていた友の人間らしさ。一匹オオカミで誰にもよりそうことができない孤高な天才は苦悩が多かったのだろう。そんな時に知った初めての恋。一コマ一コマ果てしない葛藤の末に辿りついたから、この映画は重いんだ。

 

さて、丸裸にされた才条三紀彦の物語は終わりにしよう。

ここからは十倉の物語だ。

暴走妄想が尽きないこれからのこと。

そう、黒川さちに想いを告げるために疾走するのだった。

 

 

 

感想/まとめ

面白かった。だが、古風と言うか芝居がかった文体が合わない人もいるだろう。

暴走迷走走りっぱなしの疾走感がたまらない。創作が暴走する。まるで青春機関車のようだ。特に十倉がヤル気になった後半から面白かった。

宝塚さんの正体が、、、なんて予想外でしたね。